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山口地方裁判所 昭和25年(わ)225号 判決

被告人 岡安良雄 外八名

主文

被告人等は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人岡安良雄は昭和二四年二月二八日から昭和二五年八月九日までの間山口食糧事務所長、同西井利正は昭和二二年一月二三日から昭和二三年七月三〇日までの間、同花村太郎は同月三一日から昭和二五年一〇月六日までの間各々同食糧事務所業務課長、同中村博は昭和二三年一月六日から昭和二五年八月三〇日までの間同食糧事務所経理課長、同三村新作は昭和二〇年一一月一日から昭和二六年一〇月一八日までの間日本通運株式会社(以下日通と略称する)山口支店長、同竹中五一は昭和二四年一月一八日から昭和二七年三月二三日までの間同支店長代理、同阿部金逸は昭和一九年七月二〇日から昭和二四年四月二九日までの間同支店公用課長、同吉野武は昭和一九年七月二〇日から昭和二八年二月二八日までの間同支店経理課長兼庶務課長、同堀寿夫は昭和一九年七月二〇日から昭和二四年四月三〇日までの間同支店公用係員、昭和二四年五月一日から昭和三三年五月三一日までの間同支店農林課食糧第一係長をしていたものである。

元来政府所有主要食糧の輸送は山口県においては山口食糧事務所長の職務の一部であるが、自ら輸送することなく適当なる輸送業者を選択し食糧管理局長官(昭和二四年六月一日から食糧庁長官と改称した)の決裁を得てこれに輸送させる方法によつて執行できたのである。

又、日通は全国的な組織を有する輸送業者であるため食糧管理局長官は日通社長と昭和一五年以来運送契約を締結しこれに輸送せしめており、日通の輸送業務中政府所有主要食糧の輸送はその主位を占めているが、言うまでもなくこれによつて日通の独占輸送としたものではない。

日通が右契約に基き山口県内及び同県と他都道府県間において政府所有主要食糧の輸送をなす場合には山口食糧事務所長が日通山口支店長宛発する運送命令書及び山口食糧事務所食糧管理局分任食糧会計官吏名義で発行する荷渡指図書に基き、山口県内の日通支店、営業所が輸送するものでその運送賃の請求並びにこれが支払の方法は先ず業務主管店たる山口支店の支店長の指示に従う同支店係員が毎月初め頃山口食糧事務所長及びこれを補佐する同事務所業務部長並びに業務課長等から前月分の小出賃、横持賃又は特別作業賃の請求金額を事前承認を受けた上、その金額の小出賃、横持賃又は特別作業賃算出明細書を添付した運送賃計算書を作成し、これに山口食糧事務所長の確認証明を受け、右計算書を日通本社に送付し、同本社はこれを食糧管理局(昭和二四年六月一日から食糧庁と改称した)に提出して小出賃、横持賃、特別作業賃を含む運送賃の支払請求をなし、その支払を受けた日通本社は山口支店に対し同支店の請求額中定額運賃は大部分を、小出賃、横持賃及び特別作業賃は全額を、社内決済の方法により送金するものである。

従つて、被告人三村新作、同竹中五一、同阿部金逸、同吉野武、同堀寿夫の所属する日通山口支店は被告人岡安良雄、同西井利正、同花村太郎、同中村博の所属する山口食糧事務所が行う右事前承認の如何により損益に至大の影響を受けるばかりでなく山口食糧事務所長及びこれを補佐する係官等の裁量如何により日通山口支店輸送業務の大部分を占めている政府所有主要食糧の輸送を他の輸送業者に移管される虞れがある立場にあるものなるところ、

第一、山口食糧事務所長であつた被告人岡安良雄は山口食糧事務所経理課長であつた被告人中村博に指示し同被告人と共謀の上、日通山口支店長であつた被告人三村新作、同支店長代理であつた被告人竹中五一、同支店経理課長兼庶務課長であつた被告人吉野武等に対し寄附を要求すれば右日通側被告人三名が前記の如き立場にある日通山口支店に所属するので山口食糧事務所長被告人岡安良雄等から日通山口支店に有利な承認又は裁量を受けたき意思のもとに、これに応ずることを認識してその地位を利用し

(一)  昭和二四年七月三一日頃山口市今道所在の日通山口支店において被告人三村新作、同竹中五一、同吉野武に対し金員の寄贈を受けたき旨要求した結果その頃同所において同被告人等から額面九五、〇〇〇円の小切手を

(二)  同年九月二四日頃右同所において同被告人等に対し前同様の要求をした結果その頃同所において同被告人等から額面二〇〇、〇〇〇円の小切手を

いずれも右意思のもとに交付することの情を知りながらその交付を受け以て自己等の前記職務に関し賄賂を収受し

(右第一の予備的訴因)被告人岡安良雄及び同中村博は自己等が被告人三村新作、同竹中五一及び同吉野武より日通山口支店に対し政府所有主要食糧輸送につき有利な承認又は裁量を受けたい旨の請託を受けていたので同被告人等に対し山口食糧事務所に寄附金名義の金員を要求すればこれに応ずることと思料してその地位を利用し共謀の上

(一)  昭和二四年七月三一日頃山口市今道所在の日通山口支店において被告人三村新作、同竹中五一及び同吉野武に対し山口食糧事務所に金員の寄贈を受けたき旨要求した結果その頃同支店において同被告人等から額面九五、〇〇〇円の小切手を

(二)  同年九月二四日頃右日通山口支店において被告人三村新作、同竹中五一及び同吉野武に対し前同様の要求をなした結果その頃同支店において同被告人等から額面二〇〇、〇〇〇円の小切手を

いずれも寄附金名義のもとに山口食糧事務所に供与せしめ以て自己等の前記職務に関し収賄をなし

第二、被告人三村新作、同竹中五一及び同吉野武は前記第一記載の如く被告人岡安良雄及び同中村博から金員寄贈の要求を受け共謀の上これに応じ山口食糧事務所長等から自己等の所属する日通山口支店に有利な承認又は裁量を受けたき意思のもとに額面九五、〇〇〇円及び額面二〇〇、〇〇〇円の各小切手を交付し以て被告人岡安良雄及び同中村博の前記職務に関し賄賂を供与し

(右第二の予備的訴因) 被告人三村新作、同竹中五一及び同吉野武は第一の予備的訴因記載の如くかねて被告人岡安良雄及び同中村博に対し自己等の所属する日通山口支店に有利な承認又は裁量を受けたい旨請託していたので同被告人等より金員寄贈の要求を受けるや共謀の上これに応じ額面九五、〇〇〇円及び額面二〇〇、〇〇〇円の各小切手を山口食糧事務所に供与し以て被告人岡安良雄及び同中村博の前記職務に関し贈賄し

第三、被告人阿部金逸は日通山口支店における政府所有主要食糧輸送に関する主管課長として山口食糧事務所長の主要食糧運送命令履行の掌に当るべき地位にありながら運送上の経理その他の事情により昭和二三年一月以降日通山口支店に発した運送命令の輸送を完了しえないため、従つて食糧需給上緊案輸送を必要とする場合等運送経費につき契約当事者が運送契約外において特別の措置を講ずべき場合でないのにかかわらず右被告人阿部金逸及び被告人西井利正は共謀の上右運送未済分を輸送完了することから生ずる日通の失費を補填するため右運送未済分につきいわゆる二段輸送の方法をとり以て日通山口支店に利得を与えようと企図し被告人西井利正は、山口食糧事務所長が政府所有米の既発運送命令の着地変更をなさず又変更着地から更に運送を命じないのにかかわらず、昭和二三年六月一二日頃山口市東惣太夫所在の山口食糧事務所において部下係員をして昭和二二年産米運送命令一〇三号外九命令中の運送未済分合計二〇、八九二俵の着地を別表一記載の通り変更する旨及びこれを右変更着地から既発運送命令の着地まで更に別表二記載の通り運送を命ずる旨の運送命令六〇一号、六〇二号、精三号の原議を作成せしめかつ行使の目的を以て、瑞穂糧穀株式会社倉庫等右六〇一号、六〇二号、精三号の運送命令原議記載の発地倉庫に対し、前記数量の米を日通山口支店長に荷渡しすべきことを命じないのにかかわらず、ほしいままに荷渡指図書と題する書面に同食糧事務所食糧管理局分任食糧会計官吏山崎秀樹の作成名義を以て瑞穂糧穀株式会社宛同数量の米の荷渡指図をなす旨の虚偽の記載をなし、情を知らない右山崎秀樹をして、分任食糧会計官吏としての同人の記名下にその職印を押捺せしめて、それぞれ前記六〇一号、六〇二号、精三号運送命令原議に相応ずる内容虚偽の荷渡指図書三通の公文書を作成し、その頃同所において、情を知らない日通山口支店係員に右の虚偽公文書を真実なものとして交付して行使し、同支店が前記六〇一号、六〇二号、精三号運送命令に基き運送しないのにかかわらず、別表三記載の通り昭和二三年七月から同年一一月までの間七回にわたり、被告人阿部金逸において、情を知らない日通山口支店係員をして、運送数量、小出賃、横持賃、特別作業賃を含む運送賃を記載させ、山口食糧事務所に提出させた日通山口支店長作成名義の運送賃計算書末尾の「上記は支払を要する運送賃にして正当なることを証明する」旨の記載の次に、被告人西井利正において、ほしいままに山口食糧事務所係員をして同所長首藤哲の名義を記載させ、情を知らない同所長をしてその名下に所長の職印を押捺させ、以て同所長作成名義の内容虚偽の公文書たる証明書正副各八通を作成し、同食糧事務所係員を通じその都度日通山口支店係員に交付し、情を知らない日通本社係員をしてこれを東京都所在の農林省食糧管理局に真実なものとして提出行使させて運送賃支払請求をなさしめ、同局係員をして右各運送賃計算書の記載が真実なものと誤信させた結果、それぞれその頃同局より右計算書記載の小出賃、横持賃、特別作業賃を含む運送賃合計金六七八、六八八円九二銭を運送賃名義のもとに、日通本社係員をしてこれを受け取らしめて騙取し

第四、前記運送契約において小出賃又は横持賃は特定の作業又は操作をした場合で而も所轄食糧事務所長がその必要ありと認めた場合に支払うことと取決められているが、同所長は食糧管理局長官の委任により政府のためその必要の有無を認定し必要ありと認めたものにつき日通支店長の提出する運送賃計算書に証明の記載をする取扱をなすことにより支払の正確を期しいやしくも杜撰な取扱により不当に冗慢な支払をなし政府に損害を及ぼすことのないよう処理すべく、又業務課長はこれを補佐すべき任務を有するものであるから、被告人岡安良雄、同西井利正、同花村太郎は山口食糧事務所長又は同食糧事務所業務課長として在任期間中日通山口支店長から運送契約に準拠した小出賃、横持賃の請求がなされるよう措置し且つ予めその請求の認定及び証明に必要な資料の蒐集又は請求をなす等適切な方法を講ずべきであるにかかわらず、右認定及び証明の事務を処理するに際しては人員不足による事務繁忙を理由にその事務を軽視した結果必要な措置をなすことなく不当な認定及び証明により小出賃、横持賃名目で金員の支払を受け、日通山口支店の利益を図ろうと企図し被告人三村新作、同竹中五一、同阿部金逸、同堀寿夫(それぞれ日通山口支店在任期間中のものにつき)と共謀を遂げた結果昭和二三年四月から昭和二五年二月までの間に二二回にわたり被告人三村新作、同竹中五一、同阿部金逸、同堀寿夫は日通の作業現場から小出又は横持作業の報告を徴することができるにかかわらずそれをすることなく単に山口主管店において政府所有主要食糧輸送のため一月間に要した実計上の運賃と運送契約による運賃額と対比する資料を山口食糧事務所に提出して被告人岡安良雄、同西井利正、同花村太郎と小出賃、横持賃として支払を受ける金額の折衝をなしたのに対し同被告人等はこれに応じ別に小出、横持実作業等の資料提出方を指示せず且つ提出方を要求せずして右事務所において前記資料と政府予算割当額を勘案するのみで全く小出、横持の実作業等に根拠を置くことなく小出賃、横持賃の決定をなすが如き極めて杜撰な方法を採つたため全然小出又は横持作業をなしていないもの及び運送契約により請求することのできないものにつき不当に小出賃又は横持賃の認定をなし或は右賃金算定の基礎になる距離を過大に見積つたものにつき認定をなした結果(小出倉庫、数量及びその小出距離については検察官提出の昭和二八年二月三日付釈明書引用の日通事件別表乙明細書(記録八七八丁―九五八丁)参照)、日通山口支店長名義でその認定に従い運送契約により支払うことのできない金員を請求した運送賃計算書に山口食糧事務所長として不当な証明をなしその都度日通山口支店に交付しこれを情を知らない日通本社員をして東京都所在の食糧管理局に真実なるものとして提出させて運賃支払請求をなさしめ同局係員をして別表四記載の通り同運送賃計算書記載の金員を小出賃又は横持賃名義のもとに日通本社係員をして受け取らしめ、その任務に背き政府に対し同額の財産上の損害を加え

たものである」というにある。そこで先ず本件事件発生当時の社会の情勢就中食糧事情及び輸送の状態を考察した上、右各公訴事実につき逐次検討を加えることとする。

ここで、以下、本判決において引用する証拠について一言説明をしておくと、証人の供述及び供述記載、被告人の供述について「……」内に引用した文言は公判調書の記載に従つたものであるが、その文言は必ずしもその記載そのままではなく、その趣旨に基いたものであり、押収の証拠物は検察官提出にかかるものは検証第何号証とし、弁護人提出にかかるものは弁証第何号証として表示した。なお被告人の供述についてはそれが記載されている各公判調書の丁数を引用してあるが、各公判手続更新の際同旨の供述がなされているものであつて、結局当公廷における供述となつていることはいうまでもない。

(本件事件発生当時における社会の情勢、就中食糧事情及び輸送の状況について)

本件事件において対象となつている事実はすべて昭和二三年春から昭和二五年春にわたる二年間の出来事であるが、これは我が国の敗戦から数年を経ない時期であつて、しかも敗戦直後は、軍の貯蔵食糧等が一時に放出されたため、戦時中よりむしろ食糧は潤沢に出廻つたが、漸時窮屈となり、一〇、〇〇〇、〇〇〇人の餓死者が出るであろうと真面目に論議された時代であり当時の食糧事情が全国的に極めて悪かつたことは公知の事実である。この点につき証拠に徴すると次のような諸事実が明かである。裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によれば「昭和二二、三年当時の食糧事情は極めて悪く、昭和二二年五月一日のメーデーは食糧メーデーないし米よこせメーデーと称される程であつたが、六月になるや消費県に相当の遅配を生じ閣議においても生産県と消費県との遅配を平均化させること及び凍結米を消費県へ運送することを決定した。その結果、山口県からも広島県及び京都府に食糧の運送が実施されることになつた。ところが、同年九月カザリン台風が東日本に被害を与えたため西日本の米を東京その他の東日本まで運送しなければならないこととなつた。昭和二二年一〇月末日における遅配の全国平均は一四日に達し、山口県においても都市は一週間ないし一〇日間遅配する状況であつた。そこで、同年一一月一日新米穀年度になるにあたり、この遅配を打切ることとし、欠配が生じた。その反面一日分の米の配給量を二合三勺から二合五勺に引上げ、同年末から砂糖を主食として配給した。その後、昭和二三年にかけ遅配は始終続いたが、当時輸送については石炭危機が唱えられ、九州炭を東日本に貨車輸送したが、その一番の隘路は山陽線であつた。又、食糧配給の裏付けとなつていた輸入食糧は常に到着がおくれ、大平洋の船上で放出許可となつていた。かくして昭和二三年一一月一日の新米穀年度から砂糖の配給を廃止し、配給量を一日米二合五勺から一日米二合七勺に増加したが、関係当局ならびに輸送関係者はこれが裏づけに極めて苦心していた」こと(記録六八〇丁裏―六八三丁表)を認めることができる。このような遅欠配の状況を山口県について検討してみると弁証第三号の一(主要食糧の配給遅延状況報告に関する件と題する書面の綴)によれば、昭和二二年四月頃同県下の局所における遅延日数は三日ないし五日位であつたのが、漸次同県下全般にわたつて遅配を生ずるようになりその遅延日数も増加し、同年一〇月二一日には例えば下関二一・三日、宇部二八日、山口二一日、萩二四日、徳山二四日、小野田二八日といつた具合で同県下全般にわたつて二〇日ないし三〇日の遅配日数を生じたこと、右遅配日数は同年一一月一日の一三日分の遅配打切り措置(いわゆる欠配)によつて、見かけ上一〇日ないし二〇日に減少し、その後新米の出廻りによつて遅配も極めて稀になつたが、昭和二三年七月に入るや、またも下関市、宇部市、小野田市等の県下各都市において五日位までの遅配を生じたことを認めることができる。なお、弁証第三号の二(炭鉱向主要食糧配給に関する暫定措置の件と題する書面等の綴)によれば、昭和二一年一一月閣議において炭鉱向主要食糧の配給につき特別措置をとり労務加配米等の配給を実施することとなつたが、山口県は炭鉱地帯を擁するためその対象とされたことが認められ、弁証第三号証の三(凍結米解除等に関する件と題する書面綴)によれば下関市における右の如き遅配の深刻化を窺うことができる。そこで、かような遅欠配の原因について検討を加えると、第一七回公判調書中証人佐々木章の供述記載によると「国内生産量の不足と輸入食糧が計画的に輸入されなかつた」こと(記録一二一九丁表)、同公判調書中証人黒河清一の供述記載によると「食糧の割当の枠は市町村の人口を基準としていたが、当時各市町村とも幽霊人口が多く実人口の把握が困難であつた上、農林省の認める割当人口が実際の受配人口より少い場合(それも二〇、〇〇〇人ないし三〇、〇〇〇人少い場合もあつた)のあつたこと及び食糧そのものの操作が困難で割当枠はあつても現物の裏付けができないことがあつた」こと(記録一二一〇丁表)、同公判調書中証人原田三郎の供述記載によると「当時貨車不足等のため輸送が不円滑であつたこと及び県内産食糧について従前農村に対し供出を強行した為め指令通り供出するとその農村の配給に支障を来たすということから、一旦供出をして入庫はしたが、それを出庫するのを拒否したことがますます遅配に拍車をかけた」こと(記録一二二五丁表)、第二二回公判調書中証人中村主男の供述記載によると「政府買上米が県下各地の農業倉庫に保管されていたが、それが倉庫所在地の市町村の出庫拒否によつて指令通りに都市に輸送されなかつた」こと(記録一三八七丁裏)、第二四回公判調書中田中静雄の供述記載によれば「輸送業者の日通としては出庫拒否による輸送の不円滑が遅配の一番主な原因とみていた」こと(記録一四五三丁裏)を認めることができる。そこで更に進んで、かかる遅配の原因となつた出庫拒否の状況についてみると第一八回公判調書中証人首藤哲の供述記載によると「出庫拒否とは政府米麦を倉庫に保管しているのを配給や輸送のため出庫命令を出したのに対して食糧事情が逼迫していて出庫しては後で困ると称して保管地の地元町村長等が出庫に応じないことをいう」(記録一二五〇丁裏)のであるが、第一〇回公判調書中同証人の供述記載によると「昭和二三年頃山口県下において出庫拒否はしばしば発生し、出荷倉庫の前に村民が群集し筵旗を立てたこともあつた」こと(記録七四八丁裏)、第七回公判調書中証人田中静雄の供述記載によれば「当時指定倉庫で出庫拒否されたことは枚挙にいとまのない」こと(記録四五二丁裏)、第一九回公判調書中同証人の供述記載によると「出庫拒否は山口県内全般にわたつて発生したが、中でも阿武郡、厚狭郡、玖珂郡等が多かつた」こと(記録一二九〇丁裏―一二九一丁表)、第七回公判調書中証人中村主男の供述記載によると「山口県における出庫拒否は全国的にみてもひどかつた」こと(記録四六三丁表)、第一七回公判調書中証人黒河清一の供述記載によると「出庫拒否は昭和二二年初頃から発生したが、その原因は昭和二一年産米の供出に際して軍政部の指示で供出割当の一割超過供出を強行したためで、当時県農務課員が農家個々に当つて供出させ、それで農家では保有米まで供出し、中には餠等の加工したものまで換算して供出させた状態で農家でも翌日から配給をうけなければならない状況の家もあつた。この様な状況で農家の食糧不安が増大し町村長は自村で要する最低限の食糧確保を強力に主張し、県や食糧事務所の計画を町村長が拒否したのが出庫拒否でありこれが現物の操作上一番困る問題となつた」こと(記録一二一一丁裏―一二一二丁表)、第一八回公判調書中証人田村耕作の供述記載によると「当時山口食糧事務所阿武支所管下において出庫拒否は各町村とも相当あつた」こと(記録一二六六丁表裏)、第一九回公判調書中証人中屋美治の供述記載によると「昭和二二、三年頃日通萩支店管下ではほとんどの市町村において出庫拒否があり、その回数は端境期に多くその理由は自村消費米に必要であるという点にあつた」こと(記録一二八七丁裏)、同公判調書中証人弥益菊一の供述記載によると「当時日通徳山支店管下においても出庫拒否をうけたし、又出庫拒否の多かつた町村は鹿野、米川、中須、向道の各町村であつた」こと(記録一二七八丁裏)、同公判調書中証人金子孝一の供述記載によると「日通堀営業所管下でも各村とも一〇回位づつの出庫拒否があり、その理由は自村消費米がないとか或いは供出未完了であるという点にあつた」こと(記録一二八二丁裏、一二八三丁表)を認めることができる。その他、一部出庫拒否の点についても同様である。

ところで、第七回公判調書中証人田中静雄の供述記載によると「出庫を拒否された場合には食糧事務所が運送の取消命令をした」こと(記録四五八丁表)を認めることができるが、この運送取消数を山口県全般についてみると、弁証第三号の四(政府米運送数量調査表中の運送数量総括表のうち運送取消数量欄)によれば昭和二二年五月七日から昭和二三年五月二〇日の間に一五〇、九二四俵に達した(昭和二二年一月から同年四月までの推定取消数量を加えると一八二、一五九俵である)ことを認めることができる。このような出庫拒否に対する対策としては第一〇回公判調書中証人首藤哲の供述記載によると「当時日通は現地に人を派したり又は現地の人に頼んで運送できるよう努め、食糧事務所側もこれに協力した」こと(記録七四一丁表)第七回公判調書中証人中村主男の供述記載によると「食糧事務所は出庫拒否等を監督するのがその仕事の一つでもあつたから、昭和二二年五月から督励班を設けて現地市町村当局に懇請したが、ほとんどその効果はなかつた」こと(記録四六二丁裏―四六三丁表)を認めることができる。

かような出庫拒否が運送業者である日通に及ぼした影響について検討を加えると第七回公判調書中証人田中静雄の供述記載によると「出庫拒否のあつた場合空帰り(空帰りとは往復とも空車の場合をいう)が生じ、これは終戦後から昭和二四年頃までつゞいた」こと(記録四五二丁裏―四五三丁表)、弁第三号証の六(政府米麦輸送車馬実数調書)と第一九回公判調書中同証人の供述記載によると「空帰りはトラツク一五台に一台の割合位で生じ、係の者に資料を出させて調査した結果昭和二二年一月から昭和二三年五月までの間に約二、〇〇〇台あつた」こと(記録一二九一丁裏、一二九八丁裏)、裁判所の証人弥益菊一に対する尋問調書によれば「自分は空帰りしたことが二、三回あり、当時一五人位運転手がいたので他にも空帰りをしたものがあるのではないかと思われる」こと(記録一六五九丁裏)を認めることができる。この空帰りによる運送業者(日通)の欠損状況をみると裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によれば「空帰りをした場合の諸掛りは運送契約に含まれてはいない」こと(記録六八九丁裏)第一八回公判調書中証人首藤哲の供述記載によると「運送賃に関する計算は引取り俵数によつていた」こと(記録一二五一丁表)、第七回公判調書中証人田中静雄の供述記載によると「(かような空帰りによつて生じた)運送取消命令のあつた運送命令の分については運賃が支払われなかつた」こと(記録四五八丁表)、同公判調書中証人中村主男の供述記載によると「空帰りの場合にも運賃の支払をみてやるのが普通の考え方であるが、運送契約にはそのような場合の規定がなかつた」こと(記録四六三丁裏)、裁判所の証人泉八郎に対する尋問調書によれば「空帰りについては運送契約上支払うように規定されてなかつた」こと(記録七一二丁裏)が認められ、そのため第一九回公判調書中証人田中静雄の供述記載によると「これらの事態によつて生じた経費の無駄について調べたところ、その金額は昭和二二年一月から昭和二三年五月末までで約一、二〇〇、〇〇〇円であつた」こと(記録一二九一丁裏)を認めることができ、第二四回公判調書中同証人の供述記載(記録一四五六丁表―一四五七丁表)によるも同様である。

次いで、政府所有米麦の保管状況について検討を加えることとする。そこで、先ず、当時の右政府所有米の保管倉庫についてみると証人鈴木鼎三郎の当公廷における供述によると「政府買上米麦の保管倉庫の指定の対象は農業協同組合の農業倉庫と倉庫業者の営業倉庫とがあつたが、その指定手続は農業倉庫については全国販売購売組合連合会(全販連という)と一本の契約をし、その傘下の倉庫を使用することとなつていたが右契約は全販連の代表者と食糧庁本庁の総務部長との間で締結していたところ、昭和二三、四年頃は指定を具体的になし得ない状況であつた。そして全国一本の契約であつたから指定について本庁の承認を受ける必要はなかつたし、現地食糧事務所及びその支所等で承認していれば足りていたのであつて、格別の指定手続をしていなかつた上、これをすることは実際上出来なかつた。そして結果的にいえば米麦を入れた倉庫は全部指定倉庫として取扱われていた。その原因はあまりに保管倉庫が増加し実際上指定の手続をとりえない数量となつていたためである。そして正式の指定手続をへていない倉庫であつても米麦が保管されていさえすれば、指定倉庫に準じて処理しなければならなかつた。従つてこれら準指定倉庫にも政府としては借上料を支払つていた」こと(記録一九八六丁表―一九八九丁裏)、第八回公判調書中証人中村主男の供述記載によると「山口県下における右政府買入米麦の保管倉庫数は約二、〇〇〇庫あつた」こと(記録五四一丁表)、を認めることができ、これら倉庫の分布状況は裁判所の各検証調書、(記録一一〇六丁以下、一五九四丁以下、一六三九丁以下)、受命裁判官の検証調書(記録一〇二九丁以下)及び検第一七号証(倉庫台帳)によると、各農家の個人所有倉庫も支庫として指定し政府所有米麦を保管していたため、県下全般にわたり山間僻地にも存在していたことを認めることができる。(検証第一七号証の倉庫台帳には約三四〇庫の倉庫が掲記されているけれども、裁判所の各検証調書及び受命裁判官の検証調書に照すと、政府所有米麦を保管した倉庫全部を記載したものとは認められない。)

かような事態下においての政府所有米麦の輸送状況を検討するに弁証第二号の二(政府所有貨物運送契約(対日通)更新の沿革と題する小冊子)によると食糧管理局と日通とは政府所有貨物の運送に関し昭和一五年九月二七日契約を締結して以来更新を重ねて来たことが認められるが、政府所有米麦類の運送については弁証第一号の一二(政府所有国内米麦類の県内地場運送契約についてと題する書面)と裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書(記録六九三丁、六八五丁)によると「法規上日通の独占事業ではなかつたが、事実上日通の独占するところであつた」こと、第一八回公判調書中証人山崎秀樹の供述記載によると「昭和二二年から昭和二四年の間は政府所有食糧の輸送は日通が独占しており、当時他に対象となる業者はなかつた」こと(記録一二六三丁表)第六回公判調書中証人砂口巖の供述記載によると「組織等の点からいつても食糧運送は日通の独占事業であつた」こと(記録三九四丁表)を認めることができる。すなわち弁証第一号の一二、一三(政府所有国内米麦類の県内地場運送契約についてと題する書面及び政府所有国内産食糧地場輸送の見積についてと題する書面)と裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によると「昭和二四年になると日通以外の運送業者にトラツク業の免許が与えられ、国会でも希望者があるならばそれに運送をさせてはどうかという意見が出たので食糧管理局長官の指示によつて地場小運送の入札制度を作つた」ところ(記録六九三丁裏六九四丁表)、山口県においてこの入札を実施したが応募業者の全くなかつたことを認めることができ、第二二回公判調書中証人花村太郎の供述記載によると「昭和二四年七月に本庁から地場輸送(トラツク、馬車による輸送)について参加条件を示して来てその条件が整い実力があるものについて本庁で入札をやらせる旨の通達が来たことがあり山口においては昭和二五年夏頃山口県生産販売協同組合連合会から申入れがあり上申したが、入札の段階になつて参加しなかつた」こと(記録一三九七丁―一三九八丁)を肯認でき、第二五回公判調書中証人又野清文の供述記載(一五二四丁)によるも同様である。以上の次第で、結局山口県下においては政府所有米麦の運送は事実上日通の独占事業であつたものといわなければならないのである。ところが第七回公判調書中証人中村主男の供述記載によれば「当時の状況から資材等の関係で日通は輸送面で困つており、トラツクを用意しても出庫拒否のため空車で戻つたり、ガソリンは少いし、風雨に拘らず強行作業をさせられていた」こと(記録四六二丁表裏)、裁判所の鈴木鼎三郎に対する尋問調書によると「政府はガソリン、タイヤ、酒、米等について日通に対し正当のルートでできるだけ配給していたが、例えばタイヤは三ヶ月間に全国で二〇〇本程度のものであつたから到底十分ではなかつた」こと(記録六九二丁表)、第一〇回公判調書中証人首藤哲の供述記載によると「当時日通としては運送賃は定額であり、実際には燃料、人夫賃等を闇賃金で賄わなければならない状態であつた」こと(記録七四一丁裏)、受命裁判官の証人上符憲次に対する尋問調書によると「当時は道路も荒廃しており、又トラツクは大部分が代用燃料車で、運転途中においてトラツクが故障し運転不能となるようなこともあつた」こと(記録一〇〇八丁表)、裁判所の証人飯垣治並びに徳田春水に対する尋問調書によるも同様であること(記録一一四五丁裏、一一四九丁裏)、裁判所の証人森本次郎に対する尋問認書によると「昭和二二年から二四年の間に馬車で政府所有米を運搬したことがしばしばある」こと(記録一一五三丁裏―一一五四丁)、第一七回公判調書中証人黒河清一の供述記載によると「輸送の隘路の原因は当時ガソリン等輸送関係物資の不足、関係人夫等の問題があつた上、出庫拒否が原因であつた」こと(記録一二一一丁裏)、同公判調書中証人原田三郎の供述記載によると「日通は常日頃ガソリンが足りない、タイヤが不足するから増配して貰い度いといつていた」こと(記録一二二六丁表)、第一九回公判調書中証人田中静雄の供述記載によると「日通は自動車の油やタイヤの補充に一番困つた」こと(記録一二九一丁表)を肯認できる。従つて当時日通の政府所有食糧の輸送は並大抵のことではなかつたものといわなければならぬ。ところで、このような状況下における山口県下日通各支店別の損益について概観すると検証第一一号の一ないし四(昭和二三年上期から昭和二四年下期までの間の損益表綴)と岡野繁子の検察官事務取扱副検事大谷順次に対する昭和二五年七月二二日付供述調書並びに同調書添付の各別表(記録六〇五丁―六〇九丁)によると昭和二二年下期から昭和二四年下期の五期の間に日通は山口県下において岩国、柳井、光、徳山、三田尻、小郡、宇部、小野田、下関、小串、正明市、萩、山口の一三箇所に支店を有していたが、右の五期を通じて利益を上げていたのは山口支店のみであつてその余の各支店はいずれかの期或いはすべての期に欠損を生じており、右五期を県下全般について総計すると金八〇、九九六、三九〇円二銭の欠損を出していたこと、これを昭和二三年四月(昭和二三年上期)から昭和二五年三月(昭和二四年下期)の間に限定するならば金七六、四八六、一六七円一四銭の欠損であつたことを認めることができる。而して、その原因は裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によると「昭和二二年と昭和二三年にそれぞれ四回、昭和二四年に一回定額運賃の引上げをしたが、その引上は物価庁の諸般の運賃なり又は鉄道運賃の引上げに基いたものであつて日通はその引上げが行われるまでの苦しい経理については再三訴えていた。これに対し、食糧庁は円滑な運送に基く公平な配給が最も大事なことではあるが、官吏として放漫な財政支出をすることは慎むべきことと考えていたので、日通としては右引上げにも物足りないものがあつたろうと思う」こと(配録六七三―六七四丁)、証人鈴木鼎三郎の当公廷における供述によると「当時インフレの進行する時期であつたのに契約運賃は物価庁、国鉄等の運賃の改正がなければできなかつた」こと(記録一九九一丁表)を認めることができる。このような点から、当時インフレ進行期で諸物価の高騰の速度に比し、契約運賃がそれに相応して値上りしなかつたため、益々日通の欠損を増大せしめたのであろうことは容易に推測できるところである。

次に一方、政府所有米麦の管理の責に任じていた食糧事務所側の当時の状況について検討を加えると第一八回公判調書中証人首藤哲の供述記載によると「食糧事務所としては職員の人員不足と保管倉庫が多いため、政府所有米麦の保管の実態を末端に至るまで把握することは事実上不可能であつた」こと(記録一二五三丁表裏)、同公判調書中証人山崎秀樹の供述記載によるも同様であること(記録一二六一丁)、同公判調書中証人田村耕作の供述記載によると「阿武支所は当時職員数一〇人位で、六ヶ所の出張所を合せて五〇人位であり、政府所有米麦の輸送指図についてその都度立会うことは不可能であつた」こと(記録一二六六丁裏、一二六七丁表)、第一九回公判調書中証人中屋美治の供述記載によると「日通萩支店管内において政府所有米麦の搬出に立会うのが建前であるが、同時に各所に搬出に行くので人手が足りなくて、実際は立会に行つたことはなかつた」こと(記録一二八六丁裏、一二八七丁表)、第六回公判調書中証人貞永健二の供述記載によると「食糧事務所は当時特別会計で、毎年三月末日には残予算を直ちに本庁に返えしていたので新年度には新たな予算配布のない限り無一文であつて、人件費は四月末頃、物件費は五月中旬後に配布される状態であつた」こと(記録三八七丁裏、三八八丁表)を認めることができる。

以上、見て来たところにより本件事件発生当時における社会の状勢は極めて険悪であり、深刻な食糧難であつた上、食糧管理並びにその輸送は食糧事務所及び日通双方それぞれの立場において至難の業務であつたことは明らかである。以下個々の公訴事実殊に虚偽公文書作成、同行使、詐欺事件及び背任事件の検討に当り特にこの点を深く考慮しなければならないのである。

(贈収賄関係の事実について)

当裁判所はこの点について共に犯罪の証明がなく従つて無罪であると考えるのであるが、以下に九五、〇〇〇円に関する事実と、二〇〇、〇〇〇円に関する事実とに分けて考察することとする。

(一)  九五、〇〇〇円に関する事実について

こゝでは、九五、〇〇〇円に関する事実について審按するのであるから、判断の対象は本件の公訴事実(本訴因)中第一の(一)の事実、第一の予備的訴因中の(一)の事実並びに公訴事実(本訴因)中第二の事実のうち九五、〇〇〇〇円に関する点及び第二の予備的訴因のうち九五、〇〇〇円に関する点である。而して、当裁判所はこの金員の授受は各出荷認証員と山口食糧事務所との間に行われたのであつて、該金員には賄賂性がないと認めるものである。以下この点について証拠に照して詳説することとする。

裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によると「昭和二二年秋から重要物資輸送証明規則が施行され、主食については日通の職員に嘱託辞令を出し、主要食糧の出荷証明書発給に関する事務を行わせることとなり、その手当は大蔵省から農林省の一般会計に配布されて、各嘱託員に送られることとなつたが、昭和二三年秋東京食糧事務所会議室において連絡食糧事務所の経理課長会議が開催され、その席上出荷認証員手当は運送その他食糧事務所の円滑な事務遂行に、具体的にいうと一杯飲むのに、使つてもよいと当時農林省食糧管理局輸送課長であつた自分が説明した。そして終戦後昭和二五年下半期頃まで食糧事務所には食糧費というような予算は配布されていなかつたのにかかわらず、実際にはそのような費用を要する場合が相当にあり、各食糧事務所とも困つていた。そして、山口県下に対しては二回、すなわち昭和二三年秋に約三〇〇、〇〇〇円、昭和二四年春に約三〇〇、〇〇〇円右出荷認証員手当を支出した」こと(記録六八六丁表―六八八丁表)、裁判所の証人高橋清に対する尋問調書によると「食糧事務所において食糧行政を円滑にするため渉外費又は接待費等の費用が終戦後は多額に必要であつたのに、予算の配布がないためその捻出に随分苦心し、県又は道に依頼してこれらの経費を負担して貰つていた。これは全国各地の食糧事務所においてもこの費用捻出に大変苦心したものと容易に想像されるのである。その頃、重要物資輸送証明規則が制定され、これら重要物資の輸送については出荷証明を必要とすることとなりその手当が予算として配布されることとなつた。そしてこの出荷認証員手当は多くの場合懇談会等の経費に当てられるのが慣例となつており、自分も北海道に在任中その方面の経費に当てたのである。それは、勿論認証員の希望を容れた上のことで、各食糧事務所でもほゞ同様の措置を講じているものと思う。その後自分が食糧庁総務部監査課長となつてから、以上のような費途に当てることについて、財政法第一〇条の規定からみると許されないことではあるが、昭和二三年一月の閣議で已むを得ない場合国費で支弁すべきものを寄附によるときは願出すれば許されるという決定をしているところから考えても悪質でない使途に当てる場合には殊更ら咎むべきではないと考え、常識的に判断するようにしている」こと(記録七〇五丁表―七〇七丁表)、第五回公判調書中証人加藤要の供述記載によると「当時、山口食糧事務所としては、接待費、渉外費に困つていたので出荷認証員手当の一部を寄附して貰いそれで賄うと聞いていたが、右手当は農林省官房厚生課長から山口食糧事務所及び日通山口支店を通じ各出荷認証員に金券で交付されていた。そして、当時鳥取或いは島根において開催された中国ブロツクの経理課長会同において広島連絡事務所の正化経理課長が出荷認証員手当の一部を寄附して貰つてもよい。このことは本庁の方でも黙認しているらしいとの話があり、自分は本庁の輸送課長である鈴木鼎三郎が黙認しているのだろうと思つた」こと(記録三二五丁裏―三三三丁裏)、第二〇回公判調書中同証人の供述記載によると「昭和二三年頃中国ブロツクの会議の際広島食糧事務所の正化経理課長が食糧行政の円滑な遂行に資するため本庁で出荷認証員手当の寄附をうけることを黙認していると話したことがあり、その直前正化課長は中国ブロツクの連絡のため本庁へ行つた」こと(記録一三四九丁、一三五〇丁)を認めることができ、弁証第一号証の三(出荷認証員採用報告と題する書面)と弁証第一号証の四(出荷認証員辞令)とによれば、山口県においては食糧管理局長官より隅益人外一三七名の者が二級官同格の待遇、無給で、重要物資輸送証明規則に基く、重要食糧輸送証明の責任又は権限を以て、主要食糧の出荷証明書発給に関する事務を行うため、山口食糧事務所長監督の下に、昭和二三年三月二日から山口食糧事務所出荷認証員として採用されたことを認めることができる。そして、被告人中村博の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「昭和二四年六月頃本庁から昭和二三年四月から昭和二四年三月末までの一ヶ年分の出荷認証員手当(約二八〇、〇〇〇円)の配賦があつた」こと(記録二六五丁)、被告人中村博の当公廷における供述によると「常々食糧事務所は公的費用の支出に困つていたので、岡安所長と相談して、約二八〇、〇〇〇円の認証員手当の金券を日通から食糧事務所に取りに来て貰い、その際日通から、山口食糧事務所の公費である渉外費、接待費、諸雑費について予算がないのでその手当の三分の一程度を寄附願えれば助かるのだがと伝言方を依頼した」こと(記録一七〇〇丁表裏)、第二一回公判調書中証人堀寿夫の供述記載によると、「昭和二四年七月頃、山口食糧事務所から出荷認証員手当を渡すから来てくれと言われて食糧事務所へ行つた際、中村課長から渉外費その他色々公の費用が要るので右手当の三分の一程度を寄附して呉れという話があり、その場で日通の金券約二八〇、〇〇〇円を貰つて帰り、吉野課長にそれを渡し、砂口氏にその旨を話し、三村支店長にも話して了解を得た」こと(記録一三七二丁裏、一三七三丁表)、第六回公判調書中証人砂口巖の供述記載によると「昭和二四年七月頃、日通山口支店食糧第一係長の堀が同支店農林課長であつた自分のところに来て『山口食糧事務所では渉外費等公の費用の出所がないので出荷認証員手当の三分の一程度を寄附したらどうかと三村支店長に話したところ支店長がそれはよいだろうと言つたので、このことを吉野経理課長に話し、なお、食糧事務所から取りに来たら出してくれるようにと話しておいた』と自分に言つた」こと(記録三九五丁)、被告人三村新作の当公廷における供述によると「当時堀からと思うが、係からの話では認証員手当の三分の一程度を食糧事務所の公的費用に寄附してくれということであつた」こと(記録一七〇六丁)、被告人吉野武の当公廷における供述によると「九五、〇〇〇円の小切手は自分が出したが、当時農林課の係の者が来て、九五、〇〇〇円出すことになつたと言うので、支店長や支店長代理の承認があるかと尋ねるとあると言うので出したのであつて、それは当時出荷認証員手当が二八〇、〇〇〇円余り入りその三分の一を食糧事務所の渉外費が要るので支出するという話で、その金だと思つた」こと(記録一六九五丁裏、一六九六丁表)、検証第三号証の一(小切手)によると、額面九五、〇〇〇円、振出日昭和二四年七月三一日、振出地山口市、振出人山口市上宇野令日本通運株式会社山口支店支店長三村新作なる小切手が山口銀行山口第二支店に宛て振出され、該金員を山口市東惣太夫町中村博が受領したこと、被告人岡安良雄の当公廷における供述によると「右九五、〇〇〇円の金員は出荷認証員からの寄贈で日通からの寄附ではなく、自分は当時そのように考えて中村経理課長からの伺いに対してその意味で受けてよいと指示したのであり、具体的には出荷認証員手当の三分の一を食糧事務所の公費に充てるため各出荷認証員から出してもらつてよいかどうかを経理課長にはつきりさせてから受けさせたものである」こと(記録一七〇九丁)、被告人中村博の当公廷における供述によると「この金は食糧事務所の渉外費、接待費、会議費、広告費、消防署関係の援助費の寄附金等に所長の諒解を得て支払つており、その内訳は渉外関係接待費約二〇、〇〇〇円、会議費約二〇、〇〇〇円、広告料及び寄附金約一〇、〇〇〇円、来訪者接待費約四五、〇〇〇円である」こと(記録一七〇一丁、二六六丁)を認めることができる。そして、弁証第一号の六(証明書)によれば山口食糧事務所から日通山口支店に交付された金券(小切手)額面金二八二、一五八円八四銭は昭和二四年八月二〇日山口銀行山口支店において換金されたこと、被告人吉野武の当公廷における供述によると「九五、〇〇〇円の件は経理上の処理としては二八〇、〇〇〇円余の出荷認証員手当から右九五、〇〇〇円を差引いた残額を受入れたこととした」こと(記録一六九六丁)を肯認できる。而して、本件各証拠中上記認定に反する部分(就中、中村博の検察事務官兼村頼政に対する昭和二五年六月八日附供述調書中「九五、〇〇〇円の寄附については二八二、〇〇〇円余りの認証員手当の一部を寄附して貰つたのではなく別個の関係であります」との点)は措信できない。

当裁判所の認定事実は以上の通りであつて、出荷認証員手当の一部を食糧事務所に寄附することは何ら違法なことではなく授受せられた九五、〇〇〇円の金員が賄賂でないことは明かであるから、起訴事実中九五、〇〇〇円に関する事実――前記判断の対象として掲記したすべての事実――はその余の点を判断するまでもなく、結局犯罪の証明なきことに帰し、被告人岡安良雄、同中村博、同三村新作、同竹中五一、同吉野武等はこの点につき無罪である。

(二)  二〇〇、〇〇〇円に関する事実について

ここでは、二〇〇、〇〇〇円に関する事実について審按するのであるから、判断の対象は本件の公訴事実(本訴因)中第一の(二)の事実、第一の予備的訴因中の(二)の事実並びに公訴事実(本訴因)中第二の事実のうち二〇〇、〇〇〇円に関する点及び第二の予備的訴因のうち二〇〇、〇〇〇円に関する点である。而して、当裁判所はこの金員の授受の性質は貸金(消費貸借)であつて、該金員には賄賂性がないと認めるものである。以下この点について証拠に照して詳説することとする。

被告人中村博の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「昭和二四年八月中旬頃山口食糧事務所の庁用自動車が故障し修理の必要があつた」こと(記録二六六丁)、第二〇回公判調書中証人貞永健二の供述記載によると「右自動車の修繕費について見積をさせた」こと(記録一三三九丁裏)、同公判調書中証人岩田忠行の供述記載によると「昭和二四年九月頃、山口食糧事務所の山田運転手から自動車の修理を頼まれて、車を見たが相当多額になるので、食糧事務所へ行き、貞永と逢い、修繕費の見積をしたところ、約三〇〇、〇〇〇円であつた」こと(記録一三四四丁)、弁証第一号証の八の一(乗用自動車修理についてと題する書面添付の見積書)によると右見積額は金二九八、一二六円であつたことを認めることができる。第二〇回公判調書中証人貞永健二の供述記載によると「昭和二四年度当初山口食糧事務所の庁用自動車修繕費の予算として金一〇〇、〇〇〇円が配布された」こと(記録一三三九丁裏)、そこで、右不足分約二〇〇、〇〇〇円について被告人中村博の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「被告人中村が食糧事務所長の被告人岡安に対し、本庁に対し右不足額金二〇〇、〇〇〇円につき予算の増額交渉方を願い出た」こと(記録二六六丁)、ところが被告人岡安良雄の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「被告人岡安は当時行政整理事務に忙殺され、食糧庁との交渉未済のまま約一月を経過し、そのため庁用自動車は全く使用に耐えない状態となり急速に修理に着手する必要のある状態となつた」こと(記録二五七丁)、被告人中村博の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「被告人中村は岡安所長に対し一時日通から金員を借用し立替払をするようにしたいと申出た」こと(記録二六六丁)、これに対し被告人岡安良雄の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「被告人岡安は右中村の申出を許可した」こと(記録二五七丁)、そこで、被告人中村博の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「被告人中村は右許可に基き日通山口支店長三村と下交渉をしたところ、内諾があつた」こと(記録二六六丁)、被告人中村博の当公廷における供述によると「そこで、自分は岡安所長と一緒に日通山口支店へ交渉に行き、前記事情を話し、予算が追加されるまで修繕資金を融通して貰いたいと申入れた」こと(記録一七〇一丁裏)、被告人岡安良雄の当公廷における供述によると「かねて、中村課長に借用の下交渉をさせていたので、中村と日通へ同行した際には宜敷しく頼むと言つて帰つた」こと(記録一七〇九丁裏、一七一〇丁表)、被告人三村新作の当公廷における供述によると「岡安と中村が日通山口支店へ来て、自動車修繕費二〇〇、〇〇〇円の件を話したので、その話をその通り聞いて、寄附か貸金かははつきり決めないで、後に返事することにしたが、その際、返済時期は長くなるが、返えして貰う積りであつた」こと(記録一七〇七丁)、被告人吉野武の当公廷における供述によると「日通山口支店長室で三村支店長から食糧事務所の自動車の修理費が予算の関係で今配布されないので融通するから、支出するようにという指示があつたので小切手を切り、後日支店長室において被告人中村に右小切手を手渡した」こと(記録一六九六丁裏、一六九七丁表)を認めることができ、検第三号証の二(小切手)によると額面金二〇〇、〇〇〇円、振出日昭和二四年九月二四日、振出地山口市、振出人山口市上宇野令三五六の三日本通運株式会社山口支店支店長三村新作なる小切手が山口銀行山口第二支店に宛て振出されたこと、右同号証と第六回公判調書中証人貞永健二の供述記載によると「昭和二四年九月二四日頃中村が右小切手を日通から受取り、一週間位後に同証人が現金化したこと、その金を内金として、同年一〇月上旬から一二月二二日頃までの間に岩田修理工場へ三回に分けて全部支払つた」こと(記録三七七丁裏、三七八丁表)、第二〇回公判調書中証人岩田忠行の供述記載によると「昭和二四年九月末頃山口食糧事務所の庁用自動車の修理にとりかかり、一ヶ月後位から一二月末にかけて三回に分けて総額二〇〇、〇〇〇円の支払をうけた」こと(記録一三四四丁裏)、被告人中村博の当公廷における供述によると「右小切手を受け取つた後、自分で、預り証を日通に渡したこと、その預り証の文面は標題を預り証と書き、金額並びに預つた旨の文言を記入の上、食糧事務所経理課長中村博が日通山口支店長宛に差入れた文面にしたこと、一方同年八月中村は岡安所長に対し本庁に早急に予算交渉をして貰うよう申入れていた」こと(記録一七〇二丁)、弁証第一号の七(出張命令簿)と被告人岡安良雄の当公廷における公訴事実に対する陳述によると「被告人岡安は食糧庁主計課用度係長荒井事務官のもとに出頭し、庁用自動車修理代につき二〇〇、〇〇〇円の増額を申し出て、内諾を得た」こと(記録二五七丁裏)、裁判所の証人荒井孝に対する尋問調書によると「昭和二四年九月頃当時食糧庁総務部経理課長補佐であつた自分が山口食糧事務所長岡安良雄から、庁用自動車の修理費が三〇〇、〇〇〇円位必要だからその予算を配布してくれと相談をうけたので、承認する意味の返事をしたこと、そして、予算配布の決定は官制上では上司の決裁を要するが、事実上は大抵自分の意見の通り実施される」こと(記録七二六丁裏―七二七丁表)、弁証第一号証の八の(イ)及び(ロ)(乗用自動車修理申請原議及び見積書、並びに同申請書及び見積書)によると昭和二四年一二月二三日付で山口食糧事務所長から食糧庁長官に宛て右庁用自動車修繕代概算金二九八、一二六円の予算配布の上申がなされたこと、弁証第一号証の八の(ハ)(乗用自動車修理の承認書)によると昭和二五年二月四日付を以て右上申が承認されたこと、弁証第一号証の八の(ニ)(食糧事務所経費予算示達書)によると昭和二五年二月九日附を以て右修繕料金二九八、一二六円の予算の示達があつたこと、弁証第一号の九(契約書)によると昭和二五年一月一五日附を以て山口食糧事務所の乗用自動車一九三六年式フオード乗用車の修繕について契約がなされたこと、弁証第一号の一〇(検収調書)によると昭和二五年二月一七日右修理の検収がなされたことを認めることができ、弁証第一号の一一(領収書)によると本件起訴後の昭和二五年一〇月二四日に山口食糧事務所から日通山口支店に対し前記食糧事務所乗用車修理用立金二〇〇、〇〇〇円が返済されたことを認めることができる。

そうだとすれば、右金二〇〇、〇〇〇円の授受の性質は贈与(寄附)ではなく予算配布まで自動車修理費を一時捻出するための消費貸借(貸金)と解するのが相当である。而して、検第一号証(銀行勘定元帳)によると昭和二四年九月二六日日通山口支店は右二〇〇、〇〇〇円を手許補充のためとして銀行から引出したこと、第六回公判調書中証人斎藤伊里の供述記載によると「現存する預り証は後日作成したものである」こと(記録一二七五丁)、「小切手を出してから一月位経つてから吉野課長から二〇〇、〇〇〇円は会議費として処理するようにいわれそのように処理した」こと(記録三七三丁)を肯認でき、又二〇〇、〇〇〇円の返済は本件起訴後に行われたことは前示認定の通りであり、更に第六回公判調書中証人貞永健二の供述記載によると「現金化した二〇〇、〇〇〇円の金員は中村課長から厚生資金の貯金通帳に入れておくようにいわれて、そのように処理した」こと(記録三七九丁裏)が認められる。これらの事実には、二〇〇、〇〇〇円の授受が消費貸借である旨の前記認定の真否につき、疑を持たせるものがないでもないが、第六回公判調書中証人斎藤伊里の供述記載(記録三七〇丁表―三七五丁裏)、第二〇回公判調書中証人貞永健二の供述記載(記録一三三三丁表―一三四二丁表)、被告人吉野武、同中村博の各当公廷における供述(記録一六九五丁表―一七〇四丁表)等を綜合すると右は単に本庁よりの予算配布の遅延と関係者の軽卒なる事務処理からくる不手際ないしは当時における用務多端からくる事務処理上の不手際と認むべきものであつて、これらの事実を以て前記の認定を左右することはできない。

以上の次第で、二〇〇、〇〇〇円の授受は賄賂とは認められないから、結局、その余の点を判断するまでもなく、本計公訴事実(本訴因)中第一の(二)の事実、第一の予備的訴因中の(二)の事実並びに公訴事実(本訴因)中第二の事実のうち二〇〇、〇〇〇円に関する点及び第二の予備的訴因のうち二〇〇、〇〇〇円に関する点はいずれも犯罪の証明がないことに帰し、被告人岡安良雄、同中村博、同三村新作、同竹中五一、同吉野武等はこれらの諸点につき無罪である。

(虚偽有印公文書作成、同行使、詐欺に関する事実について)

当裁判所は、右の事実のうち、虚偽有印公文書作成、同行使の二点については罪とならないし、又詐欺の点については犯罪の証明がなく、従つていずれの点についても無罪であると考えるものである。そこでまず以下虚偽有印公文書作成、同行使の各点について認定される事実中構成要件に該当する部分のみを検討する。

そこで、検証第四号証の一、二(運送命令書綴)、検証第五号証(参考綴)、検証第六号証(県内運送変更綴)、検証第七号証(荷渡指図書)、検証第八号証の一、二(運賃計算書綴)、検証第九号証(昭和二三年度計画表綴)、検証第一〇号証(昭和二三年度荷渡指図書綴)、検証第一一号の一乃至四(昭和二三年上期から昭和二四年下期までの損益表綴)と第七回公判調書中証人藤井光子の供述記載(記録四三六丁―四三八丁)、同公判調書中証人山内要治の供述記載(記録四四〇丁―四四二丁)、同公判調書中証人和田清の供述記載(記録四四四丁―四四六丁)、同公判調書中証人田中静雄の供述記載(記録四四八丁―四五八丁)、同公判調書中証人中村主男の供述記載(記録四六〇丁―四七一丁)、田中静雄の検察官大谷順次に対する昭和二五年七月六日付供述調書(記録四八〇丁―四八六丁)、第八回公判調書中証人田中静雄の供述記載(記録五四五丁―五四九丁)、裁判所の証人岡村昇三に対する尋問調書(記録六五四丁―六六二丁)、第一〇回公判調書中証人首藤哲の供述記載(記録七四〇丁―七五二丁)、同公判調書中証人山崎秀樹の供述記載(記録七五四丁―七七〇丁)、第一八回公判調書中証人首藤哲の供述記載(記録一二五〇丁―一二五二丁)、第二二回公判調書中証人中村主男の供述記載(記録一三九〇丁―一三九一丁)、同公判調書中証人堀寿夫の供述記載(記録一四〇二丁―一四〇四丁)、第二四回公判調書中証人田中静雄の供述記載(記録一四五三丁―一四五八丁)、被告人西井利正の当公廷における供述(記録一七一三丁―一七二〇丁)、被告人阿部金逸の当公廷における供述(記録一七二一丁―一七二二丁、一九九四丁―一九九五丁)を綜合すると、「被告人阿部金逸が昭和一九年七月から昭和二四年四月二九日までの間日通山口支店公用課長であり、同支店における政府所有主要食糧輸送に関する主管課長として山口食糧事務所の主要食糧運送命令履行の掌に当るべき地位にあつたこと、ところが冒頭掲記の出庫拒否により昭和二三年一月以降運送命令の一部につき輸送を完了しえないものを生じたこと、被告人西井利正が昭和二二年一月二三日から昭和二三年七月三〇日までの間山口食糧事務所業務課長であり、同事務所における主要食糧の買入、保管、運送、配給等一切の業務を主管する課長として政府所有主要食糧の運送の掌にあたる地位にあつたこと、同被告人が同食糧事務所長首藤哲の諒解を得て当時の運送未済の政府所有米二〇、八九二俵につきいわゆる二段輸送を実施して輸送を完了するとともに、併せて出庫拒否のため生じた空帰りによる日通山口支店管下の欠損約一、二〇〇、〇〇〇円の補填をしようと企て、被告人阿部金逸と共謀の上、昭和二三年六月一二日頃山口市東惣太夫所在の山口食糧事務所において部下係員をして昭和二二年産米運送命令一〇三号外九命令中の運送未済分合計二〇、八九二俵の着地を別表一の通り変更する旨及びこれを右変更着地から既発運送命令の着地まで更に別表二記載の通り運送を命ずる旨の運送命令六〇一号、六〇二号、精三号の原議を作成せしめ、かつ行使の目的を以て、同食糧事務所食糧管理局分任食糧会計官吏山崎秀樹作成名義により、瑞穂糧穀株式会社宛の荷渡指図書と題する書面に、右六〇一号、六〇二号、精三号の運送命令原議記載の右会社等所属の発地倉庫に対し、前記数量の米を日通山口支店長に荷渡しを求める旨の虚偽の記載をなし右山崎秀樹より分任食糧会計官吏としての同人の記名下にその職印の押捺を受け、それぞれ前記六〇一号、六〇二号、精三号運送命令原議に相応する内容虚偽の荷渡指図書三通の公文書を作成し、その頃同所において日通山口支店係員に右虚偽公文書を交付して行使し、同支店が前記六〇一号、六〇二号、精三号の各命令に基き運送しないのにかかわらず、別表三記載の通り昭和二三年七月から同年一一月までの間七回にわたり、被告人阿部金逸において日通山口支店係員をして運送賃(特別作業賃、小出賃、横持賃を含む)を記載させ、山口食糧事務所に提出させた日通山口支店長作成の運送賃計算書末尾の「上記は支払を要する運送賃にして正当なることを証明する」旨の記載に対し、被告人西井利正において、山口食糧事務所係員をして同所長農林技官首藤哲と記載させ、同所長をしてその名下に所長の職印を押捺させ、以て内容虚偽の公文書たる証明書七通宛を作成し、同食糧事務所係員を通じその都度日通山口支店係員に交付し、日通本社係員をしてこれを東京都所在の農林省食糧管理局に提出行使せしめて、運送賃支払請求をなさしめ、その頃同局よりそれぞれ右計算書記載の運送賃合計金六七八、六八八円九二銭を日通本社係員をして受け取らしめた」ことを認めることができる。

右事実は、外形上虚偽有印公文書作成、同行使(刑法第一五六条第一項、第一五八条第一項)の各構成要件に各該当する。従つて、この点につき形式的に違法性の存在を推定せしめることは明らかであるが、しかし、行為の違法性についてこれを実質的に理解すべきことは、論を俟たない。そこで、以下右の事実に実質的違法性があるか否かを考察するが、問題は一に実質的違法性の内容如何に存する。そもそも法は社会共同生活の秩序と社会正義のために存在するのであるから、右法の理念に照し、ある行為が全法律秩序の精神に違反するかどうかの見地からその違法性を評価決定すべきであつて、もし右行為が健全な社会の通念に照し、全法律秩序の精神からみてその動機目的において正当であり、そのための手段方法として相当とされ、又その内容においてその行為により保護しようとする法益とその行為の結果侵害される法益とを対比して均衡を失しないと認められ行為全体としても社会的に容認される限りは、たとえ、正当防衛、緊急避難等の実定法上の違法性阻却事由の要件を充さない場合であつても、なお超法規的に行為の形式的違法性存在の推定を覆して犯罪の成立を阻却するものと解するのが相当である。

本件についてこの点を以下検討すると、本件事件発生当時における我が国全体の食糧事情及び山口県における食糧事情いずれも逼迫していた点、その原因の一つが相次ぐ出庫拒否の発生であり、その状況が熾裂であつた点、そのために主要食糧の運送が極めて阻害された点、日通においては空帰りがしばし生じ多額の損失を招いていた点、食糧事務所においてこれらの事態を解決しえなかつた点については既に冒頭において「本件事件発生当時における社会の情勢、就中食糧事情及び輸送の状況について」と題して詳細に考察した通りであるから、ここに再論することを避ける。ただ、前記認定のとおり昭和二二年一月から昭和二三年五月二〇日までの運送取消数が一八二、一五九俵であつたのに比し、本件において、二段輸送を実施したのが二〇、八九五俵であるのを対比して考えるとこれは平均して約九回空帰りをした上で、右二段輸送を実施したものであることを推知できるのであつて、この点特に留意せねばならない。

そこで右に加えて前記の観点から本件が実質的に違法かどうかについて検討すると、被告人西井利正の当公廷における供述によれば「終戦頃から食糧事情が逼迫していて、それが昭和二三年五、六月頃まで続いており、各消費地特に下関市等で遅欠配が生じ、米を早く輸送する必要があり、運送命令を出してもそれが思う様に動かなかつた。その原因は各産地に保管している米に対し輸送命令を出しても産地の町村長等直接米を保管している者が自村の食糧確保の為め出庫拒否をやり、日通が輸送命令を持つて受領に行つても米を積めないで空車で帰ることが多く、日通の阿部課長、堀係長、田中係長等が再三空車で帰るので無駄の費用が多く、非常に運送に困難すると言つていたが、食糧事務所側としては遅欠配をなくす為め、とに角運送しろと輸送を鞭達し、その結果日通から空車による無駄の費用が出るからそれを何とかしてくれと申出があり、私も首藤所長、山崎部長にその事情を説明し、所長や部長もそれはやむを得ないだろうと言うことで特別に考えることになつた」こと(記録一七一四丁―一七一五丁)、被告人阿部金逸の当公廷における供述によると「具体的に本件について事前に西井課長と相談したことはないが、当時運送が非常に困難しており、出庫拒否により空帰りが多く、損失が大きいことは西井課長、首藤所長、山崎部長等に機会ある毎に話していた。その損失の補償については本件の輸送命令を貰う時に此の方法でやると言う話があつたが、それまでは聞いていない」こと(記録一七二一丁―一七二二丁)を認めることができる。ところで、この点に対する上司及び本庁の考え方をみると第一〇回公判調書中証人首藤哲の供述記載によると「日通が闇で燃料を手に入れたり、出庫拒否による空帰りのため損失を蒙つているのを何とかしてやらなければならないとの話は昭和二三年の春頃以来何回もあり、それに対し自分も所長として日通において実際に要した経費は何とかしてやらねばならないと言つていたが、その方法は本庁に対しその予算を要求して増やすかその他正当な方法によつてやろうということで、二段輸送も正当な方法の一つとして行政措置としてはやむを得なかつた」こと(記録七四四丁、七四九丁)、第一八回公判調書中証人の供述記載によると「出庫拒否による日通の損失については支払の方法がないので業者に無理を願つていたが、理論的には政府に支払義務がある」こと(記録一二五一丁)、同公判調書中証人山崎秀樹の供述記載によると「食糧事務所は業者に対して如何なる犠牲を払つても米を引取りに行つてくれと言つていたが、そのため日通に生じた損失については契約上は支払えないが、食糧庁は荷主としてそれを補償すべきである」こと(記録一二五九丁)、裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によると「本来ならば契約上支払出来ない運賃の二重支払について食糧事務所長の行政措置により支払を認められる場合があり、例えば需給上非常に経費を要してもその運送が必要である場合とか、通常の運送をする場合においても非常の経費を要する場合とか、最初の到着地に不測の事態が起きているような場合には運賃の二重支払が許されるのであつて、そのような行政上の措置は各食糧事務所長限りで行えるのであるが、更に運送未済を整理する為めと消費地の需要を満たす為めにも、消費地の需要が緊迫している場合にはそのような行政措置が許されるのである。又運送命令の数量を完遂する為めに再三トラツクが空帰りした上で尚最後にその全数量を搬出したような場合にその損失を補償しなければならないと判断した場合にも許されるのである。出庫拒否による空帰りの諸経費は運送契約の中に含まれていないが、食糧事務所長としてはその損失を補填してやるべきものであつて、そのため二段輸送又は着駅変更の方法によつて運賃の二重支払が行われていても、山口県における主食の一ヶ月の運送賃は約一〇、〇〇〇、〇〇〇円の巨額であるから、僅か一、〇〇〇、〇〇〇円位の分については問題にしていなかつた。要するに正当の理由があれば運賃の二重払もできるし、予算としてはこれをしぼつていなかつた」こと(記録六七五丁―六七六丁、六八九丁―六九〇丁、六九二丁裏)、証人鈴木鼎三郎の当公廷における供述によると「当時インフレの進行する時期で契約運賃は物価庁、国鉄等の運賃改正がなければ改正できず、その様な状態の下でどのようにして遅配なく円滑に食糧配給をするかと言うことから無理に運送をさせるので適当な理由がつけば運賃を二重に支払つてもやむを得ないと思つていた。それは当時私はどのようにしてこのようなことをやるかと言うことは上司と相談していたので加工輸送課長としてそのように思つていたのである。そして二重支払もできるように予算はとつてあるので予算上縛つてはいなかつた積りである。その二重支払は日通の申出をのむというのではなく、現地の食糧事務所長が最高責任者なので、その所長が認定すれば本庁はのむという考え方であつたし、その間の事情は本庁も承知していたのである。そして、適当な理由という中には空帰りを含ましめてもよいと考えていた」こと(記録一九九一丁―一九九二丁)、弁証第二号証の二(政府所有貨物運送契約(対日通)更新の沿革と題する冊子及び運送契約書)と裁判所の証人泉八郎に対する尋問調書によると「空帰りの費用は県間輸送には織り込んであつたことがあるが、県内輸送には織り込んでなく、それは県内輸送については契約の相手方である日通にサービスをして貰うという趣旨であつたので、(昭和二三年六月二三日の)物価庁告示(第三四三号)によれば車輪の回送に着手後荷主の責任で託送を取消し又は運送日時を変更した場合実費及び違約料を運送業者が収受できることになつているが、食糧庁と日通との間の主食運送契約では支払うように定められておらない」こと(記録七一二丁)を認めることができる。以上の事実によれば本件虚偽有印公文書作成、同行使の目的はその当時における政府所有主要食糧の運送未済分二〇、八九二俵の運送を早急に実施し、ひいては当時の食糧配給の遅配を緩和し、併せて日通の空帰りによる損失約一、二〇〇、〇〇〇円の補償をしようとした点にあつたものと認められ、右日通の損失は商法第五七六条の規定及び昭和二三年六月二三日附物価庁告示第三四三号第五条の精神に照し政府において補償すべきものと解され、食糧庁日通間の契約もこれを否定する趣旨とは解されないので、その動機目的において正当であつたものといわねばならない。而して、この点については、前示認定の如く我が国全体並びに山口県下における食糧事情が極度に逼迫していて、当時より一層食糧の配給が遅欠配されることによる社会的影響をも深く考慮しなければならないのである。次にその手段として形式的には虚偽の文書を作成し、二段輸送による運賃の二重支払の方法を採つたことも、当時運送契約上所謂空帰り等異常な事態に対処できる融通性ある支払方法についての規定がなかつたこと、しかも契約当事者が、いずれも巨大な機構をかかえ動きのとりにくい存在であるため、異常な事態の発生毎にこれに即応して契約条項を逐次改訂することが事実上不可能であり、現行の契約条項を流用して異常事態に対処せざるを得なかつたこと等を考慮するならばこれ亦行政上の措置としてやむを得なかつたものであつて相当でなかつたとはいい難い。更に、保護法益の権衡について考えると、そもそも虚偽有印公文書作成、同行使罪において保護せんとする法益は日常社会生活における取引の確実性を担保する手段として重要な意義をもつところの公文書に対する公共の信用であり、かかる虚偽有印公文書が作成され更に行使されることによつて公文書の社会的信用性が害せられ、それによつて社会秩序が混乱に陥ることを防止せんとするにあるものと解せられるところ、本件においては公文書たる荷渡指図書及び運賃計算書が行使される対象は裁判所の証人岡村昇三に対する尋問調書(記録六五九丁裏)、裁判所の証人須賀賢三に対する尋問調書(記録七〇一丁裏)、裁判所の証人泉八郎に対する尋問調書(記録七一六丁裏、七一七丁)、第七回公判調書中証人田中静雄の供述記載(記録四四九丁)、第八回公判調書中同証人の供述記載(記録五四五丁、五四六丁)を綜合すると関係諸機関(日通及び農業会並びに関係行政庁)相互間のみにとどまることが認められるのであるから、これら公文書の行使による右保護法益の侵害は極めて限られたものと考えられるのに比し、運送未済ひいては食糧配給の遅欠配、更に日通の欠損による食糧輸送の麻痺は具体的に国民の食生活及び食糧行政の事務遂行並びに日通の事業経営を侵すものであつたのである。従つて、この点においても保護法益の均衡を失したものともいい難い。殊に事は主食に関するのであるから、これが運送に支障が生じ、主食遅欠配が更に拡大されると、往年の米騒動類似の社会的暴動の発生も決して夢ではないというべきであつて、かような点を考慮すると、法益の均衡に全然欠くところはないということができる。この点は本件においても、前記出庫拒否の状況及び第一八回公判調書中証人山崎秀樹の供述記載中「私が山口へ着任早々米が動かない、米がないといつて消費地から陳情が多く来て、この侭の状態では暴動の発生という事態を招くかも知れないと思い、県の防犯会長に会つて官憲の手で出庫拒否を解決して呉れと依頼したことがあつた」こと(記録一二五八丁裏)によつても窺い知ることができるのである。

以上の次第で、本件における虚偽有印公文書作成、同行使の点は正当防衛、緊急避難等の違法阻却事由のいずれにも該当しないけれども、前記実質的違法性の基準に照し、全法律秩序の精神に違反せず、是認される行為と認められ、被告人西井利正及び同阿部金逸の行為の違法性を阻却するものと解すべきである。その窮極の根拠は実定法上刑法第三五条に存する。従つて、結局、この点は罪とならないから、無罪である。

なお、詐欺の点について案ずるに、前記のとおり日通が運賃の二重払により金六七八、六八八円九二銭を食糧管理局から受領したことは認められるけれども、虚偽有印公文書作成、同行使の点が右の如く違法性のないものであるのみならず、前段認定の如く、食糧庁もその間の事情を諒承しており、予算措置までとつておつたものであるから何等欺罔されていないものであり、又本件全証拠を精査するも被告人西井利正、同阿部金逸に詐欺罪における不法領得の意思があつたとの立証はなく、結局本件において詐欺罪について犯罪の証明がないことになり、従つて被告人西井利正、同阿部金逸はこの点につき無罪である。

(背任に関する事実について)

当裁判所はこの点について背任罪の構成要件に該当する事実の証明がなく、従つて無罪であると考える。以下その理由を証拠に照して詳説するが、便宜その前に本件に現われる小出賃及び横持賃の概念を明らかにしておく。

弁証第二号証の二(政府所有貨物運送契約(対日通)更新の沿革と題する冊子四四、四五、四六、四二、四三頁)と第八回公判調書中証人中村主男の供述記載(記録五三五丁)、第九回公判調書中証人村山正吉の供述記載(記録五九二丁裏、五九三丁表)、裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書(記録六七〇丁―六七一丁)、第一九回公判調書中証人田中静雄の供述記載(記録一二九三丁裏、一二九四丁)によると小出賃とは政府所有貨物が牛馬車の出入不能な場所に所在するため特別の搬出作業(例えば人肩猫車等による)を必要とする場合に支払う賃金であり、横持賃とは入出庫において特別の搬入搬出作業を必要とする場合に支払う賃金をいうものであつて、食糧庁と日通との間の運送契約によれば、この点につき昭和二〇年四月一日から昭和二二年三月末日までの間は「政府所有貨物にして牛馬車の出入不能なる場所に所在する為特別の小出操作を必要とし食糧事務所長(出張所長)において特に其の必要ありと認めたる場合には右に要する小出賃を支払うことを得るものとす」と定められ、昭和二二年四月一日から昭和二三年三月末日までの間は「政府所有貨物にして牛馬車の出入不能なる場所に所在する為特別の小出操作を必要とし食糧事務所長において特に其の必要ありと認めたる場合には右に要する小出賃として日本倉庫業会の横持賃(こゝにいう横持賃は広義のもので小出賃をも含むものと解される)を支払うことを得るものとす」と改訂され、本件に適用される昭和二三年四月一日から昭和二四年三月末日までの間は運送契約附録の第九項に入出庫における小出賃及び横持賃(県間、県内共)として「政府所有貨物にして牛馬車の出入不能な場所に所在するため特別の小出操作を必要とする場合又は入出庫に於て横持賃を必要とする場合所轄食糧事務所に於て特に其の必要ありと認めた場合には物価庁告示倉庫荷役料率附帯条件に依る横持賃(こゝにいう横持賃は広義のもので小出賃を含むものと解される)を支払うものとする」と改訂され、昭和二四年四月一日から昭和二五年三月末日までの間は右条項に「……支払うものとし壱屯当換算個数は別表第三による」と追加され、本件発生後である昭和二五年四月一日以降は契約自体において小出賃、横持賃を「都道府県間の発着地諸掛」及び「同一都道府県内運送賃」という別項目の経費にプールして加算し、小出賃、横持賃に関する規定を削除したこと、而してこのように削除して定額にした理由は「本費目は食糧事務所長の認定費目として支払われてきたのであるが、官庁会計、経理予算の編成等の面から不確定な賃率の契約は許されないばかりでなく、物価庁告示通り認可料金を厳守するためには、常に作業の形態を把握して認定せねばならないので取扱認定が煩雑であり且つ事実上不可能なことでもあり、社会、経済事情等諸般の情勢に鑑み最近の支払実績と諸物価の値下りと食糧事情の緩和に伴う之が運送の緩急の推移とを勘案し取扱上の簡易化を目途として定額とした」のであること(第二五回公判調書中証人泉八郎の供述記載(記録一五一四丁裏)によると弁証第二号の二の冊子四三頁三行目における「事実上可能な」とは「事実上不可能な」の誤刷であることが認められる)を認めることができ、昭和二三年四月一日から昭和二五年三月末日までの間の右運送契約に引用されている物価庁告示第三六三号(昭和二二年七月六日附)の附帯条件(五)は「荷役範囲は三〇米以内とし、これを超えるときは八〇米までは一〇米までごとに六円増、八〇米を超えるときは一〇米までごとに五円増とする」と定め、同(六)は「二種以上の荷役をなす場合は、各料率を合算した料率とする」と定め、物価庁告示第三三二号(昭和二三年六月二三日附)の附帯条件(五)は「荷役範囲は三〇米以内とし、これを超えるときは八〇米までは一〇米までごとに一五円増、八〇米を超えるときは一〇米までごとに一三円増とする」と定め、同(六)は「二種以上の荷役をなす場合は各料率を合算した料率とする」と定めている。

そこで山口食糧事務所における右小出賃及び横持賃支払についての実際の運用状況について検討を加えると、弁証第二号証の二(政府所有貨物運送契約(対日通)更新の沿革と題する冊子及び運送契約書)と第八回公判調書中証人中村主男の供述記載(記録五三一丁―五四三丁)、第九回公判調書中証人村山正吉の供述記載(記録五八七丁裏)、同公判調書中証人砂口巖の供述記載(記録五九七丁―六〇二丁)、裁判所の証人岡村昇三に対する尋問調書(記録六六一丁)、裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書(記録六六八丁裏―六六九丁表)、裁判所の証人泉八郎に対する尋問調書(記録七二二丁―裏七二三丁表)、第一〇回公判調書中証人首藤哲の供述記載(記録七四〇丁、七四九丁裏、七五〇丁表)、同公判調書中証人山崎秀樹の供述記載(記録七五九丁―七六〇丁、七六七丁)、第一八回公判調書中証人首藤哲の供述記載(記録一二五二丁裏)、同公判調書中証人山崎秀樹の供述記載(記録一二六〇丁、一二六四丁)、第一九回公判調書中証人田中静雄の供述記載(記録一二九四丁―一二九五丁、一二九七丁)、第二〇回公判調書中証人砂口巖の供述記載(記録一三五三丁―一三五四丁)、第二二回公判調書中証人中村主男の供述記載(記録一三九一丁、一三九四丁)を綜合すると、

「昭和二三年四月頃から昭和二四年一月頃までの間は山口県下の各倉庫を一括して食糧事務所において係の者と部長、所長が会議を開いて小出賃、横持賃の支払率を決定し、これに基き同所長が認定していたこと(以下この方法を県単位プール制という)、昭和二四年二月頃から昭和二五年一月頃までの間は山口県下の各倉庫を各市町村ごとに分け、各市町村内の各倉庫の標準小出距離の和を倉庫数で除した各市町村の平均小出距離が三〇米を超える市町村については個々の倉庫の小出距離を問わずに小出賃、横持賃を支払つていたこと(以下この方法を市町村プール制という)、昭和二五年二月から同年三月までの二ヶ月間は方針としては山口県下の全倉庫における搬出搬入の度ごとに具体的に一俵ごとの米俵在所からトラツクその他の運送用具までの距離を実測し、その距離が三〇米を超えるものについては小出賃、横持賃を支払い、然らざるものについては支払わないことにしていたが(以下これを実測支払制という)、これは名目に過ぎなかつたこと、昭和二五年四月以降は前記の如く運送契約において小出賃、横持賃の規定を削除し他項目の経費に繰り入れたため全国的に定額とされたため、これに従つていたこと(以下これを全国プール制という)」を認めることができる。

ところで、山口食糧事務所における小出賃、横持賃の認定方法が右のように変遷を重ね、而も実測支払制により得なかつた理由を考察すると、前記の「本件事件発生当時における社会の情勢、就中食糧事情及び輸送の状況について」においてみた如く、食糧事務所は当時人員不足であるのに、政府所有米麦の保管倉庫が極めて多く(山口県下に於て約二、〇〇〇存在したことは前に述べた)、而も山間僻地にも分布していて、その保管の実態を把握することは事実上不可能であつたし、又各現場において搬出搬入にその都度立会うことが事実上不可能であつたためであることが認められるのである。そして、小出賃横持賃の認定に際してどのような方法を採るべきであるかについての本庁の考え方をみると、裁判所の証人高橋清に対する尋問調書によると「自分がかつて在住していた北海道においても地域、需給、人員、交通、通信等のため、小出、横持の実態を把握することは極めて困難であつたし、同所では米の買入数量はある町村所在の倉庫ということで買入れていたから、それ以上のどの倉庫にあるかということは不鮮明であつた。そして、かように不鮮明な場合における小出賃、横持賃の算出は、運送業者に不当な利益を与えないという一線に従つて極めて良識的に査定して証明していたに過ぎない。従つて、運送賃計算書における明細書記載の小出賃、横持賃は実際には必ずしも真実と一致していなかつた」こと(記録七〇七丁、七〇八丁)を認めることができ、裁判所の証人泉八郎に対する尋問調書によると「小出賃、横持賃は本来小出作業、横持作業をしないのに支払うことは許されないが、運用として許される場合もあると考えているし、小出賃、横持賃の認定は実測支払制により一俵一俵について厳格に調査する必要はなく、商慣習に従い通常の商取引において行われる場合と同様な程度の考え方でよいのである。小出、横持の場合倉庫からトラツクまで米を運ぶについて一俵一俵について距離を測定することは実際上不可能のことであり、又一つ一つの倉庫については商慣習によることもできるけれども、食糧事務所として町村単位の米の在庫数が判つているだけでその町村内の本庫、支庫等数多くある倉庫の何れに入れてあるかと言うことは不明であつたので、当時の状勢と食糧庁の人員の関係からいちいちさような実態を調査することは不可能であつた。そして、昭和二三年末頃山口食糧事務所の花村業務課長が本庁に来た際、山口では今後各町村毎に倉庫からの小出、横持距離を平均したものによつて支払う市町村単位のプール制にしようと思うがどうだろうかと意見を求められたことがあり、当時本庁としてはそのような方法でやれと指示する資料もなかつたので、係長としてそれも一方法だろうと答えたことがある。その際、花村課長は従来県単位のプール制をしているのを町村単位のプール制にしたいのだといつていたのである。その後、昭和二四年末頃岡安所長が本庁に来た際、小出賃、横持賃等算出方法として現地検査官に証明させる方法をとつてもよいかと意見を求められたことがあつたが、その時にも係長としてそれでよいというはつきりした指示をする根拠をもつていなかつたのでそれも一方法だろうと答えた。山口食糧事務所は小出、横持作業の実態把握のため色々努力していて杜撰な考え方をしていたとは思わない。昭和二三年八月から昭和二五年四月全国プール制にするまでの間に小出賃、横持賃算出明細書を運送賃計算書に添付させるようにした理由は(弁証第二号証の一政府所有貨物の運送契約についてと題する通達参照)、役所というところは非常に形式を尊ぶ所で、運搬賃が予算の関係上本庁払となつていたので、戦後の混乱時期を過ぎ会計検査院の本庁払に対する支払方法の諮問等に際しこういう明細書によつて支払うのだと答える場合に備え、又各食糧事務所の運送担当官に認可料金の見方並びに計算方法位を承知させたいと言うこと、更に統計的な資料にしたいなどの考えから添付させたものであつて外に意味はない。従つて正本及び副本に添付する必要はなく、右明細書がなくても食糧庁としては運送賃の支払をすることができるのであり、要するに小出賃、横持賃の支払については食糧事務所長の証明さえあれば足り、明細書は認証官及び支出官に不必要な書類で単に加工輸送課の参考書類に過ぎないものである」こと(記録七一〇丁―七二四丁)、裁判所の証人鈴木鼎三郎に対する尋問調書によると「全国プール制になる以前は、小出賃、横持賃は、食糧庁と日通との間の運送契約書の附録に小出賃、横持賃を支払う規定があり、食糧事務所長の認定に基き運賃計算書により支払つていたが、これは食糧事務所長が必要ありと認めた場合はこれを支払う建前を採つていたのであつて、右認定の方法が困難であるとか無理であるということ、小出、横持の実態の把握が困難であるということを当時聞いていた。そして、契約の条文上は小出、横持に際し食糧事務所と日通双方が立会うことになつているが実際には特別緊急のものに立会うのが精一杯であつた。右認定の方法としては観念上は物(米俵)と物(トラツク、牛馬車等)との距離であるからその測定は可能と考えられるだろうが、実際上は米俵一俵一俵の位置が異るから実測は不可能であつて、これを認定する食糧事務所側は各々現地の実情に即してやつてよいのである。運送契約書の附録で物価庁告示の料率を適用することにすると決める際には、米一俵毎に距離を測るような厳格な適用を考えていたのではなく、運送事業における商慣習があればそれによつてよいのだし、又商慣習がなければ新しい商慣習を作つてもよいと思つていたのである。従つて、予め各倉庫について小出、横持の距離をみて小出賃等の支払できる倉庫とできない倉庫とを調査しておいてそれに基いて認定してもよいのである。又小出、横持の実作業と一致しないで食糧事務所側が支払う総金額を最初に決めて、その金額に相当するように日通側から資料を提出させて認定する方法も許されるのであつて、その理由は結局その金額は当然食糧事務所長の認定に基いたものであり、且つ或る長期間を考えるならば、実作業とその月は一致しなくとも一定の長期間内にはほゞ近似値が出るからである。本庁から認定の方法や認定の資料について指示や指導をしたことはなく、要するに所長が適宜にやればよいのである。食糧事務所としては、小出賃、横持賃の認定のために労力を余り費やさなくてもよいのであつて、小出賃、横持賃は運送賃全部の一〇〇分の二以下に過ぎないものであるから、むしろ、運送に関する精力を適正な計画の樹立なり、円滑な実施なりに注ぐべきなのである。もし、計画を誤るならばむしろ厖大な国費の支出を招き、それが消費者の負担を増すのみならず、益々食糧配給の不公正を惹起するからである。貨物の動きの実態が把握できない場合に市町村プール制を採ることはやむをえない措置なのである。山口県下における食糧事務所及び日通の小出賃、横持賃算出方法について杜撰だと感じたことはない。市町村プール制は実費支払主義に反するものではなく、単に支払方法論の問題に過ぎないのである」こと(記録六六四丁―六九五丁)を肯認できる。

さて右のように小出賃、横持賃の算出方法は困難を極め(契約上小出賃、横持賃の支払を要する距離を持つ倉庫が、山口県下に夥しく散在したことは検証の結果明かである。)、県単位プール制、市町村プール制、そして実測支払制と転々移行したがいずれも実情に即せず、又実施不可能なことが明かとなり、昭和二五年四月からは全国プール制として、従前小出賃、横持賃として支払われていたものを各一俵の基準運賃に加算して支払われざるを得なくなつた。いうまでもなく、全国プール制の採用当時から小出賃、横持賃に用いる物価庁告示が変更又は廃止されたものではない。以上の経緯を考察すると、小出賃、横持賃の算定について当事者がとつた諸方法は、食糧輸送の緊急性と人手不足の間にあつて、なるべく契約の趣旨に反せず、最も合理的にして実情に即した支払方法を発見するためにとつた処置である。而して結局は政府自体において全国プール制という最も安易な方法に落着かざるを得なかつた点からいつても、前記県単位プール制、市町村プール制は、いずれも当時の情勢が許す限り合理的な小出賃、横持賃の算出方法であつたというべきである。

刑法第二四七条にいう「其任務ニ背キタル行為」とは結局委託の趣旨に反する行為をいうのであつて、委託の趣意は契約の内容、法律の規定又は適法な慣習等によつて決定されなければならないのであるが、その決定の基準は帰するところその時における信義誠実の原則或は社会通念に俟たなければならないものと解せられるところ、本件においては以上述べた理由により小出賃、横持賃の認定方法及びその算出方法においてかような任務違反行為があつたものとは認め難い。そして本件全証拠を精査するも、被告人岡安良雄、同西井利正、同花村太郎、同三村新作、同竹中五一、同阿部金逸、同堀寿夫等が日通山口支店の利益を図る目的を以て、不当に小出横持賃を受取らしめ、又は受取り、政府に損害を与えたことは認められない。

以上の次第で、本件は背任罪の構成要件に該当する事実を認定できず、結局、犯罪の証明がないことに帰し、従つて、前記の被告人七名はこの点につき無罪である。

(結論)

以上詳しく説示して来たように、贈収賄、詐欺、背任に関する諸点はいずれも犯罪の証明がなく、虚偽有印公文書作成、同行使の各点はいずれも罪とならないから、被告人全員に対し、刑事訴訟法第三三六条に従い、無罪の言渡をすべきである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 永江達郎 竹村寿 丸尾武良)

(別表一乃至四省略)

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